明治初期に旧庄内藩士が刀を鍬に持ちかえて開墾し、
桑と茶の栽培をはじめ、10棟の蚕室も建てられました。
昭和52年に養蚕は行われなくなりましたが、
現在も残っている大蚕室5棟は展示場や資料館などの施設として利用されています。
平成元年に国の史跡に指定され、
平成29年に「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」で日本遺産に認定されました。
基本情報
所在地 | 山形県鶴岡市 羽黒町松ヶ岡字松ヶ岡 |
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TEL | 0235-64-1331(松ヶ岡産業株式会社) |
ホームページ | WEB Facebook |
駐車場 | 有(無料) 約100台 ※大型バス可 |
松ヶ岡の歴史
1868年(明治元年) | 戊辰戦争で庄内藩が敗れるが、西郷隆盛らにより異例の寛大な処置で済む。 |
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1872年(明治5年) | 菅実秀が開墾。斎藤庄蔵(遠州屋の先祖)が茶の栽培に取り組む(茶は季候に適せず、後に桑栽培に尽力)。 |
1874年(明治7年) | 開墾終了 |
旧藩主 酒井忠発が「松ヶ岡」と自筆した木札を立てたことから「松ヶ岡」と呼ばれるようになる | |
1877年(明治10年) | 10棟の蚕室が完成 |
2棟消失 | |
3棟 他の建物の建材に使われる | |
1977年(昭和52年) | 養蚕を終了 |
1983年(昭和58年) | 一番蚕室を松ヶ岡開墾記念館 |
1989年(平成元年) | 国の史跡に指定 |
2010年(平成22年) | お茶の試験栽培開始 |
2011年(平成23年) | 蚕の飼育が復活 |
2016年(平成28年)9月12日 | 天皇皇后両陛下がお見えになる。 |
2017年(平成29年)4月28日 | 「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」日本遺産認定 |